深緑の木々に囲まれ、来訪者に対して立ちはだかる大手門跡から真っ直ぐに山腹まで伸びるおよそ180メートル・道幅およそ6メートルの両側を堅固な石塁で築かれた「大手道」。
1853年7月8日、2隻の蒸気船と2隻の帆船が江戸湾の入り口にある「浦賀」に姿を現しました。ペリーの来航は日本の歴史の大きな事件「黒船来航」として現代まで語られています。
愛知県蒲郡市の海岸から約400mに位置し標高は約22~24mで周囲約620~680mの三河湾に浮かぶ小島『竹島』。
南フランス南東部に広がる地方の名称として呼ばれ、ローマ帝国時代に、本国以外の領土を指す属州を意味する「プロウィンキア(Provincia)」を語源とする『プロヴァンス(Provence)』。
長野県の南端、標高3120mの赤石岳をはじめ聖岳や兎岳が連なる赤石山脈(南アルプス)の西麓と、伊那山地の東面に抱かれた山深い渓谷一帯の秘境『遠山郷』、そして、林業の隆盛とともに発展し、多くの卒業生を送り出した後、廃校となった『木沢小学校』。
愛知県南東部、東西約50kmに延びる「渥美半島」の西端に位置し、タカ・ヒヨドリなど志摩半島を目指す多くの渡り鳥の中継地でもある『伊良湖岬』、そして神域「宮山原始林」を有する丘陵を背にし、太平洋「遠州灘」に面する長さ約1kmの湾曲した砂浜『恋路ヶ浜』。
今よりおよそ2000年前の弥生時代後期の集落と推定され、水田跡や住居などの遺構に加え数々の木製道具や土器が発見された『登呂遺跡』。
明治維新後の秩禄処分により生活に困窮した旧萩藩士を救済し、後の主要な産業となり萩の経済を支えることになった本来の名称を「夏橙」と言う、萩の特産物『夏みかん(夏蜜柑)』。
第40代天武天皇の時代に役小角が阿弥陀如来を本尊とした阿弥陀寺を建立し、この地を訪れた空海が一千座の護摩を焚き庶民の幸福を祈り、第72代白河天皇の皇室繁栄を祈願する勅願寺として鶴林山大御堂寺と称された通称『野間大坊』。
木曽八景の一つ「寝覚の夜雨」と称えられ、木曽川の激流によって花崗岩が長い年月をかけて浸食されて生まれた自然地形であり、史跡名勝天然記念物に指定された『寝覚の床』。
御嶽信仰の行者にとって水行の場であり、木曽八景の一つ「小野瀑布」と称えられる落差20mの直瀑『小野の滝』。
太平洋の荒波による浸食によって海食崖に形成された、天然の「海蝕洞」であり、高さ約5m、幅約4m、全長約40mにも及ぶ『伊尾木洞』。
信濃三十三観音霊場の第二十九番札所であり、聖武天皇の勅命によって行基が創建したと伝えられ、「布引観音」とも呼ばれる天台宗の古刹『布引山釈尊寺』。
1871年の廃藩置県以後、旧小諸藩士たちによって整備され、1926年に近代的な都市公園として生まれ変わった『小諸城址 懐古園』。
菅笠を三つ重ねたような姿から、別名「三笠山」とも呼ばれる、一面が芝に覆われた『若草山』。
岐阜県北端部の飛騨市、かつての飛騨河合村と白川村の境に位置し、冬季には半年近く雪に閉ざされる標高1289mの峠である『天生峠』。
標高1038mの倶留尊山と、亀の背に似た標高849mの亀山を結ぶ西斜面から麓に広がる標高700m・約38haの『曽爾高原』。
標高908.3mの笙ヶ岳を主峰に、南部に標高403mの多度山、北部に標高859mの養老山が連なる養老山地の北東に位置する、落差32mの直瀑『養老の滝』。
福井県北部に位置する坂井市東部の丸岡町にあり、標高17mの独立丘陵上に築かれた平山城である『丸岡城』。
金比羅山の通称を持つ標高524mの琴平山と、隣り合う象の頭に似た標高538mの象頭山とを合わせた総称である象頭山の中腹に鎮座し、「こんぴらさん」とも呼ばれ親しまれる『金刀比羅宮』。