
★天川村「天河大辨財天社(天河神社)」
広島県の厳島・滋賀県の竹生島・神奈川県の江の島と並ぶ、日本を代表する弁財天のひとつであり、主祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。
七福神の中で唯一の女性神であり、音楽・芸術・芸能の神様として知られる弁財天。その信仰から、天河神社は芸能に関わる人々から篤く信仰されています。
奈良県の山深くにあり、「縁がなければ、たどり着けない場所」と言い伝えられるほど交通の便が良いとは言えず、車で訪れるのも容易ではありません。
木々に囲まれた境内では、清らかな空気を心地よく感じながら石段を上り、拝殿へ向かいます。
能舞台が設けられたこの空間は、まるで異世界へ足を踏み入れたかのような不思議な感覚を覚えさせてくれます。
鈴緒(すずのお)に結ばれているのは、天河神社に伝わる「五十鈴(いすず)」。
天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩屋戸に隠れた際、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が神代鈴をつけた矛で舞を舞ったことで岩屋戸が開かれ、天地が再び明るく照らされたという伝承があります。その神代鈴が、天河神社の五十鈴の起源であると伝えられています。
鈴緒に結ばれた五十鈴が、どのような音色を奏でるのか。
その響きを感じるためにも、実際に天河神社を訪れ、静かに耳を傾けてみたいものです。

★平城宮跡「第一次大極殿(だいごくでん)」
奈良時代の日本の都であった平城京。
平城遷都1300年記念事業(2010年)の一環として、2001年から9年の歳月をかけて復原された「第一次大極殿」。
なぜ「第一次」なのかというと、聖武天皇が740年に都を恭仁京や難波京などへ移し、745年に再び平城京を都とした際、大極殿を新たな場所に建てた経緯があるためです。
奈良時代前半の第一次大極殿は元明天皇の時代、後半の第二次大極殿は聖武天皇の時代にあたります。
大極殿は、天皇の即位や国家の重要な儀式、外国からの使者を迎える際などに使用された重要な建物でした。
ただ、復原にあたっては設計図や参考文献、当時の絵画などが残されていなかったため、その跡地に残る礎石から規模を測定したり、他の時代の建築物を参考に推定したりと、相当な苦労があったようです。
本来の姿を完全に知ることはできませんが、その時代にこのような建物が存在し、都に暮らした人々が確かにいた。そして、現代と変わらないであろうこの夕日の赤さを、誰かが同じように眺めていたのだ……。
そう思うと、1300年以上の時を越えて浪漫を感じさせてくれる情景でした。
写真・文 / ミゾグチ ジュン
